慌てて飛び退き、両手で口を押さえる。見ると、女性が呆気に取られて二人を凝視。だが、ハッと我に返り、見なかったフリをしてそそくさとその場を立ち去る。
「コ、コ、コウッ!」
思わず拳を振り上げそうになり、それをコウに抑えられる。
「大声を出すな。目立つだろ」
「だ、だっ だって、コウがこんな所で変な事するから」
「こんな所で? じゃあ別の場所だったらいいのか? あ、そうか、ここホテルだもんな」
言いながら周囲を見渡す。片目を瞑ってフロントを指差す。
「なんだったら、一部屋借りる?」
「は?」
「俺、構わないぜ。初めてをツバサに捧げるの、俺の夢だし」
ゴンッと鈍い音がエレベーターホールに響く。
「ココはそういう場所ではありません。くだらない事言ってると、一発じゃ済まないぞ」
「へへへっ」
コウは頭を擦りながら嬉しそう。
「それくらいの元気があれば、大丈夫だな」
言いながらツバサの背中を押し、甘い香りの流れてくるレストランへと向った。
疲れている時には甘い物を食べるのがいいらしい。そんな話を聞いたことがある。半信半疑だったが、こうしてケーキを口に運んでいると、まんざら嘘でもないのかと思えてきてしまう。
ってか私、疲れてたのかな?
オレンジムースをパクリと頬張る。そんな姿に、コウがハハッと笑う。
周囲を見渡すと、ほとんどが女性。こんな時間にこんなところでケーキが頬張れるといったら、自由の利く職種の人間か、大学や専門学校や夜間学校へ通う学生か、主婦と言ったところだろうか? 高校生らしき存在はほとんど見当たらない。
ツバサもコウも、制服は着ていないが、高校生だという事はバレているのだろう。受付の女性も多少怪訝そうな顔をした。ツバサはなぜだか場違いのような気がして少し身を縮めるが、さらに場違いとも思えるコウの方は、いたって平然としている。
「ねぇ、恥かしくない?」
と気を遣うツバサにも
「なんで?」
と、キョトンと返してくる。
「ケーキバイキングって、ドリンクもフリーなんだな。どうりで人が集まるワケだ。何か、得した気分だもんな」
ケロリとした顔でストローを加える。
こういうところが、偉大だな。
尊敬してしまう。周囲を気にする自分の方が馬鹿みたいに思えてくる。
ケーキバイキングなど、実はツバサは初めてだ。一人で来るようなところでもないし、母はこのような人の集る場所は好まない。学校では親しい友達も何人かは居るが、唐渓に通う生徒だから、招待状が必要なイベントには行くようだが、俗人の集う所になどは寄り付きたがらない。特に最近は、美鶴と親密にするツバサを嫌がり、少し距離を置こうとする生徒もいる。
美鶴だったら、来たりするのかな?
上目遣いで考える。
無愛想だけど、やっぱり彼女だって女子高校生なワケだし、やっぱりこういった甘い物だって、好きなのではないだろうか?
嬉しそうにケーキを頬張る美鶴。
うーん、想像はできないけど。
肩を竦めてもう一口。
「よく食えるなぁ。夕飯食えるのか?」
「別腹ですから」
「another stomach」
「本当?」
「知らん。たぶん違うな」
「文系でしょう?」
「関係ない」
「あっそ」
呆れたようにケーキを平らげる。
「あー、でも結構食べたかも」
「何だ? もう終わりか?」
「休憩です」
「あと十五分だぞ」
「ラスト十分でスパートかけるわよ」
「へいへい」
背凭れに寄りかかり、短髪の頭をガリガリと掻く。
「じゃあ休憩がてら、教えて欲しいんだけどさ」
「なぁに?」
「で? なんでそこまで兄貴に会いたいんだ?」
ツバサは、フォークをペロリと舐めたまま、固まった。
「兄貴に会えば自分を変える事ができる、らしいな」
「うっ」
こういう話になる事はわかっていた。そもそも、話をする為に席を取ったのだ。だが、いざ面と向って聞かれると、どう答えてよいのかわからない。
「美鶴からは聞いてないの?」
「奴は必要最低限の情報しか漏らさない。まぁ、その点に限定すれば、友人にするにはイイ奴だけどな」
「ヒドイ言い方だなぁ」
「奴の態度にも問題はあると思うぜ」
「うっ」
美鶴には悪いが、反論はできない。
ごめん、美鶴。
心内で両手を合わせるツバサに向かって、コウは少し身を乗り出す。
「で、兄貴の件はどうなんだ? 俺の質問には、答えてくれるよな?」
「うぅ」
正直、答えたいという気持ちはある。だが、どう言えばいい?
醜い自分を変えるため。
こんなんで説明になるのだろうか? そもそもコウは、ツバサは醜くも汚くもないと言ってくれた。そんな彼に、いったいどのように説明すればよいのだろう?
逡巡したまま黙ってしまった相手に、コウはゆっくりと口を開く。
「俺と田代さんとの事、まだ気にしてるんだったな?」
ビクリと、ツバサの肩が震える。
「もうなんとも思ってないって、前にも言ったよな?」
「うん」
「どうした? どうしてまだ気になる? そんなに俺は信用できねぇのか?」
「違う」
慌てて否定する。
「違う、そんなんじゃない」
「じゃあ、何だ? 何か、誤解されるような事、俺がしたか?」
「それは」
しばし視線を泳がせ、やがてフォークを皿に置き、姿勢を正した。
「見ちゃったんだ」
言わなきゃいけないんだよね。もう隠すことも、避ける事も、できないんだよね。
「え?」
「コウが、シロちゃんと会ってるところ」
秋だった。明け方に降った雨が庭の植物を濡らしていて、朝日を浴びてキラキラと綺麗だった。
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